ちりめん

 最近はダイエットのために肉だけではなく魚を食べるようにしているのですが、ちりめんじゃこってかなり魚のミイラですよね。それはさておき。
 前回ものすごく真面目そうな日記を書いてしまったので、いかにも何も考えていなさそうな日記を書いてバランスを取ろうと必死になっています。能天気でヘラヘラしていて、人生の全てが適当そうな自分を取り戻さなくてはならない。

 今年の6月に初めて全頭ブリーチをして、8月にはバイトのために暗めに戻していました。しかし、完全な黒染めではなく可愛いデザインカラーを入れていたので、今は微妙にキラキラしている汚い茶色になってしまっています。もともと地毛が明るい色なので、ブリーチの境界線はそこまで目立たないのですが、飲み会などで不意に撮られた写真に写る自分がみすぼらしく、何とかせねばと思っています。……というのは半分くらい本心で、もう半分はリア充アピール。本当はきったねえ格好で泥団子投げながら走り回り、ゲラゲラ笑っている様子を写真に撮られたい。

 主に就活の面接のせいで、他人からの見え方を必要以上に気にするようになってしまいました。間違いなく就活のせいです。私は就活が本当に嫌いだ、なぜなら私が何を言っても就活用に解釈され、相手の中に「就活用の自分」が勝手に構成されていくからだ……これまで私が頑張ってきたことや、成し遂げてきたことは、就活のためにあるのではなく、全て私がやりたいと自分勝手に思って自分勝手にやってきたことなのに、それら全てに意味を求められて苦しいです。意味なんてない。強いて意味を付けるなら、お前ら大人という生き物への抵抗だよ!とクソガキの私が騒いでしまう。まあ、こんなつまらないことで逐一文句を垂れる(社会にとって都合の悪い)奴を排除するための就活であることは承知しているので、泣く泣く過去の私をでっちあげて話すのですが。
 一般企業の就活は、特殊な職業でない限りは筆記試験が存在しないので、公務員試験よりも苦しいと感じます。教職に限って考えると、高校までのテスト形式とほぼ変わらない試験に加え、面接では自分の本心から話せるエピソードが多いので、わざわざ話を盛る必要も無く、採用の過程におけるストレスは比較的少ないです。真に苦しいのは、そもそも自分の為人が教員に向いていないとか、子どもたちの今後一生を左右する多感な時期を支えられないとか、そういった不安を抱えた教員採用試験を受ける以前の段階……働くことは本当に難しい。

 高校入学時に引っ越しバイトを始め、今も扶養内ギリギリで労働する自任苦学生なのですが、社員とアルバイターで働くということの意識に違いがあるように思えません。“誰でもいいからとにかく労働力が欲しい”ために、採用してから適性を確認するようなアルバイトとはわけが違うと、頭では理解しているつもりではいるが。労働にやりがいを求めようと求めまいと、与えられた自分の役割さえしっかりこなしていれば、意識なんて何でもいいだろうと思ってしまいます。志高く、自分の脳みそでやることを考えて次々仕事するのは、確かに素晴らしいことですが、自己研鑽が自分のためではなく会社のためになるのが、なんか嫌です。

 こんなに文句を言いながらも就活をしているのは、教採落ちたときに無職になると人生お仕舞いだから!妹すら社会のために働いているのに、穀潰し大卒無職なんて……いよいよ勘当されてもおかしくありません。ほら、結局、親戚・他人から自分がどう見えるかを気にしている。
 スーパーの鮮魚コーナーに並べられたちりめんじゃこを見ていると、こいつらは私に“おさかなのミイラ”として見られていることなんか知らないんだろうなと、なんだか羨ましくなったりします。“ちりめんじゃこ”という名前だって、小魚を並べて干す様子がちりめん生地に見えたからついたらしいし……本来どういう名前の魚か、なんて誰も気にしていない、ちりめんに見える雑魚。でも、それで社会に受け入れられているのだから羨ましいです。魚と違って私は意識に縛られているので、(田舎の貧乏な家が長女を大学に行かせて無職にしたら罪深くて、一家丸ごと村八分にされかねないぞ)と、被害妄想を膨らませてしまいます。この部分の意識だけ切り取りたい、自由になりたい、自分に許されたい!!

 なんだかんだ最悪の話をしてしまった。クソー!!全部就活のせいだ!今の私は創作のためだけにあるんだ!本当なんだ!(自己暗示)