夏の旅行の話、見せる私と見せない私

 自創作に関することを思う存分書いてやろうと思ったのですが、書きたいこと書きたくないこと、自分の思っていることが溢れて、何が何だかわからなくなり、何千字も綴ったのに結局全部がバカらしくなってきました。あたまでっかちなんだ。私も、全部。

 創作の話をするのなら、やはり幼馴染のことを書かなければ始まらないと思い、今年の夏休みに幼馴染たちと旅行に行ったときのことから始めてみます。(クソどうでもいいが、今この瞬間に、普段業務連絡しかしない幼馴染から、本当にどうでもいい連絡が来て嬉しくて泣いている。「おう」と返信。)
 9月に中学の同期4人で海外旅行をしました。私と、幼馴染(以下Sと呼ぶ)と、私のバレー部仲間二人です。書きながら、なんて不気味なメンバーなんだと思うのですが、陸上部だったSと我々バレー部3人は全く関わりが無かったわけではなく、私を除いた3人は同じ習い事をしていた上、4人とも家が近所なので、単純に仲良し4人組です。また要らぬ説明をしてしまった。
 大学の夏休みは気が狂うほど長いのですが、Sは陸上部で忙しく、私は教職の必修と実習手続きにボコボコにされており、残りの二人も医療系実習の必要な学科なので夏は特に忙しく、この旅行で一番大変だったことは日程調整だったなと、今になって思います。
 何とか日程を調整して飛行機とホテルを予約した後は、地元に集まってコメダで作戦会議を重ね、ものすごい勢いで事が進んでいき、気がつけば現地にいました。4人の中で誰が言ったのか忘れたけど、“イツメンでグループ作れなかったけど、結局どの班よりも楽しんでいた修学旅行”みたいに楽しい、という言葉を覚えています。生まれてこの方「イツメン」が存在しなかった自分からすると実感が無かったのですが、Sはすごく共感していました。自分はいつも帰属する場所に飢えていて、それなのにいつもどこにもいられなかったから、帰属意識を満たすためだけの「イツメン」が苦しかったと。

 思えば中学の時、さほど仲良くもなかったSと2人だけでしまなみ海道を黙々とサイクリングしたのも、お互いの孤独を埋め合わせるためだった気がします。大人という生き物に絶望して、大人が作った世界の全てを呪っていた私も、在籍している学校の評判によって自分に貼られたレッテルに苦しみ、朝起きられなくなったSも、斜に構えるあまりに世と視線が平行になり何も見えておらず、本当に本当に馬鹿だったと思うけれど、結局ひとりに耐えられない可愛いガキだったのかもしれません。でも、必死に毎日涙を隠しながら生きていた私たちを、そんなふうに蔑んで眺めるのはやめにしたい。私たちは、帰る場所が欲しかった。見せている綺麗な外観を期待される、固定化されたイツものメンバーではなくて、やりたいことを思い切りやっても何の反応もされない場所。つまり、私を知らない人に、帰って来てもいいよと、いつもずっと受け入れていてほしかった。

 自分勝手ですね。自分勝手だと思うし、社会に対して過剰に反応しているにすぎないと思います。そんなの普通のことなんですよね。エスカレーター式に進む義務教育の閉鎖的環境を抜け出したら、他人の行動に異常な期待を寄せてくる人は激減して、みんな寛容になりました。お互いのことをごく自然な流れで受け入れ、外観と内面が異なることもふんわり了解した上で、各々が好きなことをやっていました。修学旅行の余りものグループは、この事実を早くに学ばせてくれるものだと感じます。
 世界に見せる私、それを期待する世界、それに応え続ける私、でもそれが全てじゃない。今ではこのことを肯定的に捉えられるし、創作でも言い続けたいと思っています。旅行中、夜にSと2人だけでホテル付近のショッピングモールを散策したときに、私がその土地の言語を話すのが別人のようで面白いと笑ったのが良かったです。私にとっても、高校や大学やインターネットでのSは知らない人。それでも声をかければ嫌な顔ひとつせずこちらに向き合ってくれるのだから、今はそれでいいかと思う。これってかなり予後が悪そうだとも思うけど、お互い深く知らないままのこの距離感を楽しんでいる今が好きだ。というか、実は今までの十年以上の付き合いで、結構わかり合えているような気がします。こんなの驕りだし勘違いなので言わないけども。

 時間は戻って、海外旅行帰りの飛行機。Sが化学基礎の周期表を考案したメンデレーエフについて、当時未発見だった元素を空欄で発表したのが、後世への信頼を感じてロマンがあると言っていました。電子殻がAから始まらないのも、それより内側に殻が存在する可能性を考慮していて、化学は自分の成果が自分一人だけで終わらない世界が最高だとも言ってくれた。私も自分のいない世界につなぐ、という意識・行動の全てが好きなのだと伝えました。
 狭い狭い世界を歩いてきた。今でもそう。ずっと世間知らずで、田舎者特有の意地汚さと負けず嫌いが抜けないし、劣等感に駆り立てられて己の人生の後ろめたさにどうかしそうになる。でも歩き続けてしまった。どうにかしそうな私を見せまいと走り抜けてきたこの道や気持ちは、本当に誰にも知られず終わるのかもしれないし、そうあってほしいのだけど、私の不愛想な足跡を見つけた人が、それによって何かを思ったら面白いなと思います。

 以前この日記で、今はもういない人間のことを誰かがあれこれ評価して、自分の知っていたはずの人がつくりものになって評価されていくのがつらくてたまらないと書いたことがあります。本当のことは本人にしかわからないのに、外野がその人を語るのは不気味だと思っていました。だから、中学時代当初の自創作は鬱屈としていて、OCの片割れ(閖柯)に自分を重ね続けて自分の世界全てを見失う姿(萱乃)を書いていました。腹が立っていたんですよね。死んでなお、その人に期待し続けて、勝手にありもしないものを妄想する人間が嫌で、そんな奴は痛い目を見て当然だとキレていました。思い続けていた理想の人も、その内面は人として尊敬できるものではなかったのに、そんなことは誰も知らない。結局誰もその人を理解し得なかった……そういう話を書き続けていました。
 しかし、私も丸くなったもので、誰かの足跡に自分の足を重ねるように歩くことがあっても良いのだと思えるようになりました。誰かを忘れてしまうよりずっと良い。思い出すたびに立ち止まって、戻らない日々を飾り立てては恋しくなってしまうけれど、それでも今を生き続けることに意味がある。何もかも諦めたようで、今この瞬間が少しでも優しく終わるようにと祈る自分に、光を見出す人がいても良いと思う。
 私が人生で一番苦しかった小学二年生の夏に、もっと遠くに行って歩き続けなさいと私に言ったホームレスのおじさんの真意はよくわかりませんが、ひねくれまくっていた当時よりは良い解釈ができていると思います。

 歩き続けることを肯定する創作がしたいです。
 自分の祈り、誰かの祈りが、今この瞬間の世界を作り続けている。今は今と思ううちに戻らない過去として積み重なっていくけれど、戻らない過去の思いも、誰かが想起することで今に引き戻される。過去も未来も今も、結局すべて私の今この瞬間の足跡になっていく。
 最終回がどうとか、その時の思いがこうとか、確かにその人しか知らないんだけど、それはそれでいい。見せない私がいてもいい。諦めずに歩き続けてきた人の、今のきらめきを否定する理由にはならないから。

 萱乃の歩みが、閖柯と、私たちのつたない生き方を肯定してくれることを祈っています。